食品工場員、サービスエンジニアへの転職が決まりました【10年目の決断】

工場の悩み解決

※追記(2026年10月):その後、会社に退職を伝えました。→ 工場を辞めると上司に伝えた日【「相談」じゃなく「報告」で切り出した話】

今日、内定の連絡が来ました。サービスエンジニアとして、新しい会社で働くことになりました。

食品工場でライン作業員として10年働いて、初めて「工場じゃない場所」で働くことになります。まだ実感が薄いですが、事実として起きたことなので、正直に書いておきます。

なぜサービスエンジニアだったのか

一番の決め手は、給料でも待遇でもなかったです。

10年間、量産の仕事をしてきました。同じ動作を、同じ製品に対して、何千回、何万回と繰り返す。ラインが流れている限り、自分の仕事に終わりはないです。今日作ったものも、明日作るものも、基本的には同じもの。誰が作っても同じものになるように設計されているのが、量産ラインという仕事です。

深夜3時にふと「俺、何してるんだろう」って我に返る感覚のことを前に書きましたが、あの感覚の正体は多分これです。自分がやっていることの輪郭が、いつまで経ってもはっきりしない。何かを「完成させた」という感覚が 10年間ほとんどなかったです。

サービスエンジニアの仕事は、逆でした。ひとつの機械、ひとつの現場、ひとつの故障に対して、自分の名前で向き合う。直せたら、それは自分が直したことになる。量産ラインでは絶対に得られない感覚です。

面接でその話をしたとき、「量産の現場から来る人は、意外とそこに一番惹かれますよ」って言われました。多分、同じことを感じてきた人が他にもいるんだと思います。求人票のスペックや条件よりも、そのひと言の方が自分の背中を押しました。

転職活動を振り返って

転職活動自体は、正直長かったです。動き出してから、なんやかんやで3ヶ月かかりました。

書類選考は30社受けて、通ったのは5社。落ちた方が圧倒的に多いです。夜勤明けの体で職務経歴書を書いては送り、また落ちての繰り返しは、想像以上にしんどかったです。

最終面接まで行った話は前に書きましたが、あの記事を書いた時点では、正直受かる自信は半々でした。結果を待つ数日、普通に夜勤に入りながら過ごすのは、思ってた以上に精神的にきました。

内定の連絡はメールで来ました。件名だけ見て、開く前に一瞬止まりました。30社出して5社しか通らなかった感覚が残ってたので、開くまでちょっと身構えました。中身を読んで、ようやくという気持ちが一番強かったです。

家族にはすぐ報告しました。

今の会社にはまだ言えていません

入社まではまだ少し先です。

今の工場には、まだ辞める話をしていません。これからです。正直、一番気が重いのはここです。10年もいた場所なので、お世話になった人もいるし、引き継ぎのこともある。円満に辞めたいとは思ってますが、タイミングとか言い方とか、まだ全然決めてないです。

新しい会社は夜勤がなく、日勤で土日休みになります。今は当たり前だと思ってる夜勤も、休みが土日じゃないことも、もうすぐ終わります。これから何回か夜勤に入りながら、「これが最後の夜勤たちになるんやな」って気持ちでラインに立つことになると思います。10年間ずっと不規則だった生活が、初めて普通になる。それがまだあんまり実感できてないです。

このブログ、どうするか

「これ書いたらブログ終わるかな」って一瞬思いました。

でも、書いてる途中で気づいたんですが、終わらせる理由がないです。むしろ、工場を抜け出そうとしてる人が一番知りたいのは「本当に抜け出せるのか」「抜け出した後どうなるのか」だと思うので、このブログの一番大事なところは、たぶんこれからです。

入社までの期間も、そこから先の話も、正直に書いていきます。今の会社を辞める話をする瞬間も、最後の夜勤も、サービスエンジニアとして最初の現場に出る日も、全部書くつもりです。

まとめ:10年目の決断

量産の仕事に不満があったわけじゃないです。10年やってきて、誇れることもたくさんあります。ただ、自分の名前で何かに向き合いたいという気持ちが、思ってたより強かったんだと思います。

内定が出た日のことを、ちゃんと記録として残しておきたくてこの記事を書きました。

新しい生活が、もうすぐ始まります。

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